Columns|コラム【論語と私】全11回

第11回(最終回) 改めて・・・論語と私

これまで9つの論語を通じて、

それにまつわる私の体験や考え方についてご紹介させていただきました。

この中には

・今心がけていること

・「耳が痛い」こと

が含まれています。

言えることは、これからの自分の人生にとって

大事な言葉がたくさん含まれている、ということ。

論語の作者孔子は紀元前500年前後に活躍されていた方です。

今から2,500年余りも昔に、今に通じる考え方を

このような形にまとめていることに驚きを感じるとともに、

生きるということは実は昔からその意義は変わっていないのではないか、

ともとらえることもできそうです。


自分は子供のときから特に宗教を信仰していたわけではありません。

幼少の頃によくいっていた祖父母の家では、

同じ部屋に神棚と仏壇がありました。

祖母がやるままにその動作を真似して、

神棚に拍手をしておがんだその手で仏壇の鐘を鳴らしたものです。

ケーキが食べられるからとクリスマスを祝い、

近くの鎌倉にあった神社仏閣には見境なくお参りしていました。


なので信仰、という感覚は残念ながら根付かなかったようです(笑)

でも今こうして改めて論語と接するに、

自分のこれからの生き方の指標となる道標がたくさんありそうな気がします。

しかも歳を重ねて、ある程度欲がなくなってきて(笑)

しがらみが少なってくると、特に響いてくるようです(^ ^)


すべてに共感する必要も、迎合する必要もないと思いますが、

いくつかでも何かヒントになるような言葉が見つけられたら、

それはきっと論語を手にした意味があったと思います。


今度は書物の方を探して読んでみようと思います。

あまりにも多くの書物が発行されていてどれを読もうか、

なかなか決められないのです(笑)



「論語と私」シリーズ終わり

次回からは新しいシリーズをお届けします。



「第10回 不患人之不己知 患己不知人也」

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