Columns|コラム【パズルのピース思考】全6回
第3回 パズルのピースその2
前回は1つ目のパズルのピース「初めての海外経験と英語コンプレックス」をご紹介しました。
今回は2つ目のパズルのピースを紹介します。
パズルのピース2:両親
一時期私は家庭をもっていました。妻と子供との暮らし。
しかし諸般の事情で別居し離婚裁判になったのです。
中高一貫の私学、そして大学をでて、
名のある大手企業に就職し、
同期の中でも比較的早く結婚し子供ができ
一戸建てのマイホームも得て、
仕事も範囲が広がって順調に進み、昇進もし、
はたから見れば順風満帆な人生を進んでいましたが
先述したように私から別居し離婚に向けて裁判が始まったのです。
正直、離婚って人ごとに思っていたところもあり、
いざ自分が当事者になったことは、少なからずショックでもありました。
たとえそれが自分から動いたことであったとしても。
別居直後は両親宅に世話になりました。
事前に相談していたこともあり、
多くを語らず両親は受け入れてくれました。
孫と会えなくなる可能性についても特に触れることなく。
ただ実家から会社までは2時間半の通勤時間に加え
私も帰りが遅く、よく乗り換えの駅まで父に迎えに来てもらうような状況だったので、
3ヶ月後くらいに都内にアパートを借り、一人暮らしが始まりました。
こういう時って一人で暮らしていると結構凹むものですね。
自分一人でこの苦しみを背負っているような気になっていました。
裁判も思うような展開にならず悶々としている時に
銀座で両親を久しぶりに会うことになったんです。
カフェで状況を報告したのですが、
両親から見るとだいぶ落ち込んでいるように見えたようです。
カフェではただ黙って私の話を聞いていました。
カフェを出て交差点で別れ際に突然父が
「いいか!しっかりしろ!
お前がどんな悪人でも俺らは最後までお前の味方だからな!
がんばれ!じゃあな!」
と交差点のど真ん中で叫んだんです。
雷に打たれたような衝撃でした。
しばらくして
滅多に声を荒げることのない父の幾分紅潮した顔と、
その脇で「そうだよ」と無言で語りかけているような母の顔を思い出し、
「最後まで両親を見守っていこう」
という気持ちが植え付けられました。
両親も若くありません。
いつ何時世話を必要とすることが起こっても不思議ではないんです。
もしそういう時が来た時に自分が自由に動けるようでありたい、
すなわち自分の時間がある程度融通聞けるような環境でありたい、
と思うようになってきたのです。
会社勤めよりは起業もしくは自営業、
労働集約性よりは成果主義または不労所得的要素が強い仕事、
を初めて意識した時でもありました。
これが2つ目の私のパズルのピースです。